メディアは本来、権力の監視者であり、公共の利益に資する「第四の権力」であるとされてきました。
しかし今日、私たちはそのメディアが「信頼できる情報源」ではなく「クリックを稼ぐビジネスモデルの一部」として機能している場面に頻繁に出くわします。
その最たる例が、2025年5月1日にWSJが報じた「Teslaの取締役会がElon Muskの後任CEOを探している」とする記事です。
これに対し、Teslaの公式XアカウントおよびチェアのRobyn Denholm氏が即座に「事実無根」と否定し、Elon Musk本人も「意図的な虚偽報道」とまで断じました。
Earlier today, there was a media report erroneously claiming that the Tesla Board had contacted recruitment firms to initiate a CEO search at the company. This is absolutely false (and this was communicated to the media before the report was published). The CEO of Tesla is…
— Tesla (@Tesla) May 1, 2025
It is an EXTREMELY BAD BREACH OF ETHICS that the @WSJ would publish a DELIBERATELY FALSE ARTICLE and fail to include an unequivocal denial beforehand by the Tesla board of directors! https://t.co/9xdypLGg3c
— Elon Musk (@elonmusk) May 1, 2025
なぜ、こんなにも露骨な誤報が一流紙から出てくるのでしょうか?
センセーショナリズム:真実よりバズを優先する構造
メディアの最大の収入源は、広告収入です。そして広告主は「人々の目を引くコンテンツ」にお金を出します。 つまり、メディアにとって最も重要なのは“真実”ではなく“注目度”です。TeslaやElon Muskは、それだけでトラフィックを爆発的に生む存在。
少し過激な見出しや不安を煽るトーンを加えれば、PV(ページビュー)は倍増します。
「TeslaがCEO交代か?」という報道は、裏付けがなくても人々の不安と関心を同時に引きつけます。センセーショナリズムは、結果として企業の信用や株価、社会の混乱すら引き起こしますが、その“コスト”は報道側が負いません。 これは報道の商業主義化がもたらした最も深刻な弊害の一つです。
バイアスとアジェンダ:広告とイデオロギーが歪める報道の中立性
Teslaは伝統的な広告を一切打ちません。つまり、メディアからすれば広告主としての「旨味」がない企業です。
対照的に、フォードやGMなどの自動車メーカーは毎年莫大な広告費を投じ、主要メディアと利害関係を結んでいます。
さらに、Elon Muskはメディア業界や左派的な言論界とたびたび衝突しており、その政治的・社会的立場から「敵視」されやすい人物です。
たとえば、Muskが買収したX(旧Twitter)は、メディアによる世論形成機能への挑戦とも受け取られており、報道界との対立は根深い。
このような背景が、TeslaやMuskに対して必要以上に攻撃的、または揶揄的な報道を生む構造的要因となっています。
情報のスピード競争:誤報の温床としての速報主義
現代メディアは、「いかに速く報じるか」が全てになりつつあります。
正確さは二の次。
WSJのような一流紙でさえ、「第一報」を取ることを最優先し、検証を後回しにしてしまうのです。
WSJがこの報道を出した背景には、「他社よりも先に、話題性のある独占情報を出す」という社内競争や圧力があった可能性が高い。
このような文化では、報道倫理やファクトチェックは、編集者の机の引き出しに追いやられるのが常です。
匿名ソース:責任の所在を隠すための免罪符
報道の信頼性を著しく損なうのが、「匿名の内部関係者」の存在です。 誰が言ったのか、どの立場からの情報なのかすらわからない発言を、“事実”のように引用するやり方が横行しています。WSJの記事も、おそらくこの匿名ソースに基づいています。
しかも、Tesla側が即座に公式に否定しているにもかかわらず、メディアは「事実かどうか」を再検証することなく、報道を修正していません。
匿名ソースは、誤報が生じても「責任を取らなくて済む」ためのメディア側の逃げ道でしかありません。
検証不足とソーシャルメディア時代の影響
かつて報道には「二重三重のファクトチェック」が存在していました。 しかし今、ソーシャルメディアの時代にはそのプロセスは“邪魔”なものとされ、飛ばし記事が堂々と紙面やWebに載るようになっています。Teslaのように即座に反論が可能な企業はまだ良い方で、反論できない対象に対しては、事実無根の情報が定着してしまうケースも多々あります。
つまり、検証の不在が“真実”を歪める最大の要因となっています。
意図的な誤報:メディアの腐敗の最終形態
FCC(米国連邦通信委員会)によると、ニュースの歪曲は「公共の利益に対する重大な違反行為」です。 にもかかわらず、意図的に歪められたニュースが報道される事例は後を絶ちません。「マスク退任説」は、株価への影響や世論操作を意図した情報操作だった可能性もあるのです。
報道機関が「意図的に嘘をつく」という最悪のケースが現実となっている今、読者・視聴者側がより厳しく情報を見極める力を持たねばなりません。
メディアとTeslaの確執:歴史と背景
Elon Muskは長年、メディアとの対立を続けてきました。 たとえば2018年には、「メディアは広告主に忖度し、Teslaを不当に扱っている」とX上で主張。 2022年にはついにTeslaが広告出稿を検討するに至りました。これは、報道によってイメージが歪められることへの対抗策であり、報道の信頼性がいかに失墜しているかを象徴する動きです。
読者と社会の責任:批判的思考と複数ソースの活用
報道を鵜呑みにする時代は終わりました。今や読者自身が情報の正誤を見極める目を持ち、複数のソースに当たることが求められています。
特にTeslaやElon Muskに関する報道では、「本当にその発言をしたのか?」「反対意見はあるか?」といった検証的視点が不可欠です。
結論:真実を殺すのは嘘ではなく、無関心
メディアが誤報を流す構造は、単なるミスではありません。
ビジネスモデル、競争、政治的バイアスが複雑に絡み合った結果であり、報道という行為がもはや“公共の利益”から乖離している現実を私たちは直視すべきです。
私たちが無関心である限り、虚偽はこれからも「ニュース」として流れ続けるでしょう。





